株式会社 河野製作所

CROWNJUN
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平成22年3月9日(火) 日刊工業新聞
  企業の志魂(こころ)
 ‘2010年 龍馬と”志士の時代”の俊英列伝
  歴史に人あり 人に志あり 企業に魂あり

  幕末は志士の時代であった。志あり力量ある者ならば身分を問わない奇兵隊を創設し、武士ばかりから成る幕府軍を木っ端微塵に打ち砕いた高杉晋作。自ら「苦労するのは何いとわねど、苦労しがいのあるように」と都々逸を唄い、長州藩士の士気を鼓舞した天才である。龍馬が夢馳せた世界の海援隊の種を、海運業として大きく花開かせた巨人岩崎弥太郎。近代化へとひた走る日本を支えた豪胆と先見の明は見事というしかない。勝海舟からその印象を訊かれ、「大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く。こちらの撞木が小さいのでその度量が計り知れません。」と龍馬から驚嘆された西郷隆盛。西郷なくして薩長同盟はなく、また江戸城無血開城もなかった。「飛耳長目」と題したノートを傍らに置き、萩に居ながらにして京、大阪、江戸の情報を的確に収集。「我れ一日世に在れば、一日為すなり」と「松下村塾」で高杉や久坂玄瑞、吉田稔麿、伊藤博文、山縣有朋ら維新の俊英を育てた吉田松陰。立場こそ違え、崩れゆく幕藩体制の中で、それぞれの運命に逆らうことなく誠を貫き通した会津藩主・松平容保、新撰組隊長・近藤勇、同副長・土方歳三、長岡藩家老・河井継之助…ら、彼らも皆、時代の志士だった。未曾有の経済不況に遇って、今「平成の志士」が求められている。高い志を持って、新しいニーズや技術を切り開いていこうという”平成の龍馬よ、高杉よ、西郷よ”君たちの出番だ。波濤渦巻く荒波こそ男子の本懐とばかり、経営者の気概を示す人と企業の評判記。

 1867年(慶応3年)11月15日、京都・近江屋で刺客の凶刃に倒れ、その生涯を閉じた坂本龍馬。奇しくも龍馬33歳の誕生日でもあった。薄れゆく景色と途切れ途切れになっていく記憶の中で、龍馬は何を手繰り寄せたのであろう。数日前、西郷や大久保、木戸らに新政府の人事構想案「新官制擬定書」を提示した。西郷、大久保、木戸はもちろんのこと、小松帯刀や後藤象二郎らも参議として名を連ねてあったが龍馬の名がない。西郷が不審に思って訊くと「オイは世界の海援隊でもやるきに。役人だけはご免じゃぜよ」と笑った。優しく、強く、そして守ってくれた母・幸、厳しく、温かく、そして鍛えてくれた姉・乙女。凛々しく、果断で、そして命を救ってくれた妻・お龍。土佐の高知で共に笑い、共に泣き、共に夢を馳せた武市半平太、中岡慎太郎、河田小龍…彼らがいたからこそ剣を磨き、江戸を目指し、世界の情報を知り得た。時代は人を呼び、人は時代を動かす。まさに龍馬は時代に呼ばれるが如く幕末に登場し、幕末を動かしたのである。そして日頃口癖にしていた「命を天に返す」とばかり、天空の彼方に旅立っていった。「日本を今一度、洗濯いたし申し候」と一日たりとも無駄に生きることなく、全力で日本の夜明けを疾駆したゆえの颯爽さが時代を超えて支持される要因であろう。龍馬を始めとした雲龍奔放の英傑、俊英に会ってみないか。それぞれの運命の中でみじろぎもせず、積極果敢に明日を目指す。それは150年経った今を生きる経営者の志と気概に似ているからだ。

  (株)河野製作所

  代表取締役社長 河野淳一氏

   千葉県市川市曽谷2-11-10

 松平容保は藩祖保科正之の「徳川への忠義」を受け継ぎ、まるで「薪を背負って火事場に入る」が如きの京都守護職に就任。孝明天皇の信任が厚かったが、戊辰戦争で朝敵とされ、会津戦争では新政府軍の攻撃の的となった。維新後は日光東照宮の宮司を務め、終生誠実を貫いている。

 顕微鏡下で行うマイクロサージャリー分野の業界パイオニア。1949年創業という歴史を礎としながら、ベンチャー精神も旺盛だ。多品種少量生産の高付加価値製品にターゲットし、オンリーワン製品の開発に余念がない。最先端医療に携わる気概と責任感を社員全員が共有し、世界屈指のサービスと品質が誇りだ。

   

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